プラザ KWA
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No. 025  旧街道を歩く

太田 正行さん  (会員No.1515、浜松市)


十五年程前まだ現役のころ、徳川幕府始期後四百年記念イベントで旧五街道関連図書発売・テレビ放映などが盛んになっていた。

定年退職後時間的に自由になり、健康維持かつ社会との接点を持つ一手法として旧街道踏破を夢見た。 旧東海道歩きをスタートしたのは、今から九年前のこと。大した準備もせず、リュックサックと案内書「歩く旅シリーズ街道・古道 東海道を歩く」を購入し、なんと気楽な旅立ちは初春の肌寒い三月、取り敢えず三泊四日の計画で、家内と日本橋に立ち右手に東京タワーを眺めながら京を目指した一歩を踏み出した。

赤穂義士四十七士の眠る泉岳寺、大学駅伝で耳にする八山橋を経て品川宿へ。一泊目の宿は姉夫婦の川崎で、これから始まろうとする予測珍道中の話題に花を咲かせる。玉川(多摩川)を渡り生麦事件碑通過すると神奈川宿(横浜)。風雨に見舞われ傘破損、近くのラーメン屋で休憩がてら昼食。街道最初の難所と言われる「権太坂」は難なく登り切り藤沢へ、遊行寺の樹齢六百余年の大銀杏脇を通過、茅ヶ崎宿手前の松並木は初めて旧東海道らしさを体感出来た場所。

平塚宿から大磯宿へ、まだくすぶり臭う火災現場の旧吉田邸へは立ち入り禁止見学できず、ただ美しい松並木をひたすら歩く。小田原宿から石畳を通過し街道随一の難所箱根峠をこえ、元箱根で一泊。街道から今にも手が届きそうな大きな富士山を眺めながら桜吹雪の下、坂を転がり落ちるように一気に三島大社へ、ここで旅の無事を祈願、樹齢千二百年の天然記念物金木犀を拝観し沼津へ。

千本松原の海岸から正面に対峙した富士山には圧倒された。吉原に入るとなんと街道左手に富士(左富士)が見える唯一の場所。由比の本陣を見学し薩埵峠に差し掛かる、ここから富士の眺めは広重の絵そのもの街道ハイライト。 ただし、雪のない富士山ではチョッピリ残念。 

街道は駿府(静岡)から山手に入り岡部・藤枝を経て島田宿、その昔はしばしば足止めになる大井川を渡ると金谷宿、石畳を上る坂道は結構応える日坂峠だ、スズメバチの出迎えを受けたが無事通過。東海道ど真ん中袋井宿で本日は終了。この旅は吉原宿以西の宮(熱田)まで毎回朝出発夕刻切り上げの一日旅。磐田の見付で姫街道との追分を通過、天竜川を渡るここも昔は難儀した場所と想像できる。浜松からは舞坂の松並木道をゆっくり通過し新居関所見学後二川へ、一月の寒い中家内は体調を崩しこの日は昼食後早々の帰宅。

豊橋、豊川を後にして御油の樹齢四百年の松並木は旅人が狸に化かされたところとか、まさに街道の生き証人と見える。岡崎宿は徳川家発祥の地、じっくり城内外見物。桶狭間古戦場の次は有松模様、鳴海絞りで知られた鳴海宿、街道から離れて熱田神宮参拝後七里の渡し跡で一日旅はここで終了。

江戸時代には宮(熱田)から桑名へは命を懸けて渡船するも、今は近鉄特急で二十分足らず。いよいよ旅も終盤七里の渡し桑名宿から京へ。鈴鹿峠手前の関宿は歴史的景観保存地区であり、散策していると江戸時代へタイムスリップかと勘違いするほど。鈴鹿峠も想像よりたやすく通過でき、東海道と中山道の追分となる草津宿を過ぎ瀬田の唐橋を渡ると大津宿。逢坂の関碑を見、新緑の萌える南禅寺に立ち寄り、平安神宮、知恩院を横目に終点京都三条大橋のたもとへ、ここで二人して記念写真に納まり足掛け二年十泊二十六日の旧東海道踏破完了。踏破記念の京都泊、金閣寺など京都見物へ。

 次は中山道踏破と勢い込むのも最終的には一人旅の始まりへ。甲州道中・日光道中・奥州道中と京から東の旧街道踏破完了は3年前、西国街道・山陽道・長崎街道も踏破完了し、現在山陰道の松江から京を目指して奮闘中。旧東海道の旅が、庭園・銘木・マンホール蓋などの写真集を手掛けるきっかけとなった。


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