プラザ KWA


 No. 15-09 「私の東京マラソン」     原田 昌代 (会員No.1445 掛川市)

 
 喫茶食堂を四十年余り営業し、お客様に惜しまれながら七十五歳を定年と決め、店を閉じた。お茶、俳句、絵などを始めたが、不眠に悩まされ「走ろう会」に入会した。先生に一から指導をしていただき、私のマラソン人生が始まった。それから三年が経った。

 今年2月22日7時、都庁前広場は冷たい雨が煙っていた。ランナー3万6千人の熱気はそれを吹き飛ばすのに充分だった。9時10分、都知事による一発号砲が都庁周辺のビルに谺し、ランナーが一斉に42.195Km先のゴールを目指し走り始めた。ランナーの列が続き、私かスタートしたのは30分後。その頃には雨もやんでいた。若者の仲間入りをし「走りきるぞ」と緊張とともに胸はわくわく。沿道のあふれる応援の人々に手を振り走った。靖国通りを下り皇居内堀通りを半周した。日比谷で有森裕子さんの優しい笑顔と声援を受ける。早速握手。東京タワーに見守られ、品川で折り返した。銀座通りは人、人、人。その時、私の名を呼ぶ声がした。昨年チャリティーで一緒に走った友人が、新潟から応援に来てくれていたのである。「ありがとう」と返事をする。これで勇気百倍。

 いよいよ有明エリアへ、ビッグサイトまであと少し。ここからは橋が続き苦痛のアップダウン。体は重くなり足はもつれてスピードダウン。時々立ち止まりストレッチする。若いランニングポリスが肩をたたき「もう少しだ、がんばれ」と声を掛けてくれた。走るドクターも、とぼとぼ走る年寄りに塩飴を差し出してくれた。ゴール近くに再び有森さんが待っていてくれた。「ありがとう、私も自分を誉めてやります」と笑顔で握手。ついにゴール。大きなアーチを潜りゴール板を踏みしめる。完走メダルをもらい私の東京マラソンは終った。七十八歳の挑戦はまだまだ続く。